ポリティカル・コレクトネス

言葉

ポリティカル・コレクトネスとは日本語で「政治的な正しさ」や「政治的妥当性」と訳されます。
差別や偏見を是正する意味合いにおいて、不適切な言葉や用語を使わないようにしようとする運動の事であり、その信念は十分に理解できるものですが、最近では行き過ぎが指摘されることもある。

例として、アメリカではクリスマスに「メリークリスマス」と発言すると、「他の宗教の信者に対する差別だ!」などと言われてしまいます。さらに悪いのが、これに反論しようとすると、ポリティカル・コレクトネスを盾に「この差別主義者め!」と言われ、袋だたきに遭ってしまいます。

こういう現象を、最近では「ポリコレ棒」というようになっています。
何の気なしに発言した言葉尻を捉えられ、ポリティカル・コレクトネスを盾にとり、SNSなどでボコボコに叩かれることを指した言葉です。

「ポリコレ疲れ」と言う言葉もあります。インテリ層が「今の時代にそういう発言は馴染まない」と言った文脈で言葉狩りに近いことを喧伝することに、一般庶民がうんざりしてきているという意味合いですが、個人的にはすごく納得できます。
トランプ大統領の「アンチポリコレ」とも言える言動に、一定の支持があつまるのも、ポリコレ疲れの証左ではないかと思います。

ポリティカル・コレクトネスには差別や偏見を無くしていくという点で良い面もあります。しかし、行き過ぎると負の側面が出てきます。言葉狩りになってしまい物事の本質の議論や、事実に基づいた議論ができなくなってしまうからです。

例えば「海外でビジネスをする際に、注意しなければならないことの一つに約束の概念が違うことが挙げられます。」という文章があったとします。この文章はポリティカル・コレクトネスに引っかかるでしょう。
「外国人は嘘つきというのは差別だ!」となってしまいます。
でも、海外でビジネスをした経験がある方であれば、これは事実として認める方が多いのではないでしょうか。明らかに日本国内でビジネスをするより、海外の方が約束を違える、つまり嘘をつかれるというシーンに出会う頻度は高いと思います。
でも、ポリコレの世界では、この事実は伏せられます。これでは対策のしようもありません。

私が子供の頃と比べて、明らかに言葉はきれいになりました。
看護婦は看護師に、スチュワーデスはCAに、痴呆症は認知症に・・・
でも「看護婦さん」というと「差別だ!」と言われる世の中は窮屈だな、と思います。
ちなみに先に記した「子供」という言葉も、ポリコレ的にはダメだそうです。「子供は大人の所有物ではありません。『子ども』と書きましょう」と言われてしまいます。
なんだかなぁ。

コメント