ジョブ・ディスクリプション

経営

ジョブ・ディスクリプションとは、職務記述書と訳され、アメリカでは一般的なものです。
記載されている内容は、その職務の内容や求められるスキルや能力、達成が求められる成果等が具体的に記載されたものです。

求職者やポジションを上げたい社内の人間は、公表されたジョブ・ディスクリプションの内容を理解して応募してきます。
そして、ジョブ・ディスクリプションの内容に基づいて、成果が出ているかどうかを評価されることになります。(これを成果主義と言います)

簡単に言うと、会社は「このポジションに座りたい人には、こんなことを求めますよ」ということを提示し、そこに座りたい人(あるいは座れる能力があると自認する人)が手を挙げて、そのポジションに就くということになります。

この制度を理解していると、例えば大ヒットしたアメリカのドラマ、24の中で目まぐるしく人が入れ替わるということも納得がいきます(ドラマなので、誇張はされているでしょうが)

つまり、そのポジションにふさわしくないと、ボスが判断すれば簡単にクビは飛びますし、反対にボスに認められれば、年次とかそういう細かいことは関係なしに、高いポジションに就くことも可能になります。

このジョブ・ディスクリプションの存在は、日本流の人事制度とアメリカの人事制度の大きな違いを象徴するものです。

まず、ジョブ・ディスクリプションを導入して、成果主義を導入するためには、簡単にクビを切れることが前提になります。
「君はこのジョブ・ディスクリプションに定義されている能力や成果をみたしていないね」と見なされれば、そのポジションをどかなければなりません。
日本では、簡単にクビを切ることはできませんので、「このポジションには不適だな」と評価されたとしても、降格や配置換えになるのが一般的です。
でも、アメリカではそうはいきません。
アメリカではポジションを退くことは退職を意味します。
クビを切られた人は、また他社のジョブ・ディスクリプションを見て、新たな職場を求めていくことになります。

この仕組みが良いのか、悪いのか、評価は別にしてこれは、少なくとも、日本人にはあまり馴染まないシステムだと思います。

このシステムが成立する条件は、
(1)簡単にクビを切れること
(2)各自の職務を明確に定義すること
(3)マネージャーとプレイヤーが分離していること
の3つが挙げられると思います。

(1)については、日本はかなりクビを切ることが法的に難しい社会なのはご存じかと思います。

(2)の各自の職務を明確に定義するというのは、一見よさそうに見えるのですが、逆に言えば自分の職務以外のことをやらないということを意味しています。
これを徹底すると「これは私の仕事ではないので」という一言で終わってしまいます。
そうすると、各自の職務の隙間にこぼれ落ちた仕事は、誰もやらないということになってしまいます。
日本では(職務の定義があいまいなこともありますが)隙間仕事を率先してやったり、他人の仕事を手伝うということが当たり前のように行われています。
ジョブ・ディスクリプションで明確に個々人の職務を定義してしまったら、そうはいきません。

(3)のマネージャーとプレイヤーが分離していることについてですが、これは(2)の話と密接に絡んでいます。
職務を明確にすれば隙間の仕事ができると説明しましたが、この隙間がないようにジョブ・ディスクリプションを作ることは、マネージャーの仕事になります。
隙間ができれば、その隙間仕事用のジョブ・ディスクリプションを作って人を採用するか、あるいはジョブ・ディスクリプションの内容に隙間の仕事を追加することが必要になるわけです。
また、日本の会社では普通にプレイヤーが現場の改善提案を上げてきたりしますが、ジョブ・ディスクリプションを導入するやり方では、これはマネージャーの仕事になります。
「現場の改善提案をジョブ・ディスクリプションに入れればいいじゃないか」という意見もあるかも知れませんが、人の入れ替えが前提になっているので、特にプレイヤーのジョブ・ディスクリプションにそのような項目を入れるのは現実的ではないでしょう。
日本ではマネージャーとプレイヤーの境目があいまいになっているケースが多いのは、このことに起因しています。
日本の会社の多くでは、全員がマネージャー兼プレイヤーになっていることが当たり前で、ポジションによりその比率が異なっている(一般社員はプレイヤー8:マネージャー2、課長はプレイヤー3:マネージャー7)と解釈した方が実態をに近いと思います。

ジョブ・ディスクリプションが機能する条件を3つ挙げてみましたが、どうでしょうか。
日本人的な曖昧さが、日本の会社の人事制度の根幹になっています。
ですから、そこを変えずに制度だけ輸入しても、上手くいくわけありません。
ジョブ・ディスクリプションの導入は、ほぼそのまま成果主義人事制度になります。
日本で成果主義人事制度が根付かない、つまり、ジョブ・ディスクリプションが普及しないのはそういう訳なのです。

ちなみに、私はジョブ・ディスクリプションが根付かない日本の会社風土を批判するつもりは毛頭ありません。
むしろ、その逆で日本的働き方が日本企業の強みだと思っています。
なんでもかんでも欧米基準に合わせてしまえば、日本の企業の良さはどんどん失われてしまうでしょう。

 

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