弥生

言葉

今日から3月です。
そこでふと、疑問に思ったのですが、3月はなぜ「弥生」なのでしょうか?

旧暦では、今の1月、2月、3月という言い方ではなく、睦月、如月、弥生と呼んでいました。
中学校の古文の授業で、1月から12月までの月の呼び方を習いましたよね。
1月から12月までの月の呼称の中で、ほとんどの月が「○月」「○○月」のように、お尻に「月」が付きます。
例外は、12月の師走と、3月の弥生の2つだけです。
これはきっと、特別な意味があるので?
気になったので、調べてみました。

弥生の語源は「いやおい」が変化して「やよい」になったそうです。
「いやおい」とは草木が生い茂る様子を現した古語です。
弥生の弥の字は、弥は、訓読みでは「いよいよ」です。
冬の間、じっと耐えていた草木が、春になりいよいよ一斉に茂っていく様子を現した言葉だと分かります。

では、なぜ「弥月」とならずに「弥生」になっているのでしょうか。
3月を現す言葉には「花月」や「桜月」「夢見月」など、お尻に月がつく別称もあるそうです。
でも、一般的に使われているのは「弥生」です。

調べてみると、旧暦3月は、やはり特別な月だったようです。
一年の実質的なスタートが旧暦3月ということです。
もちろん、暦の上でのスタートは1月(睦月)ですが、冬の間は雪に閉ざされ、作物も育たず、何もできません。
長い冬が終わって、農作業のスタートとなるのが、旧暦3月、今でいうところの4月〜5月頃ということになるわけです。

ここからは私の推測です。
実質的な一年のスタートである重要な月である3月、一年の締めくくりで重要な月の12月と並んで、特別扱いしたのではないかと考えました。
睦月、如月、花月 ではなく
睦月、如月、弥生 
花月よりも、特別感があると思いませんか?


ちなみに12月は、一年間の掛け払いの借金を回収する時期であるため、現在よりもはるかに重要な月でした。
一説によると、12月に回収できなかった借金は、なんと年をまたぐとちゃらにされたそうです。
師走は、走り回って借金を回収するというのが語源と思われている人も多いですが、実は借金取りから師(先生)が逃げ回る月、というのが語源だそうです。
師走は弥生以上に特別な月ですね。

現在でも年度の初めは4月になっていますね。
これは、弥生の流れからそうなっているのではないかと思います。
特別な月である弥生、今年の3月は、大事に過ごそうと思いました。

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