一神教と多神教

宗教

世界には様々な宗教があります。
これを分類すると大きく2つに分けることができます。

一神教→神様は一人
多神教→神様はたくさん

日本で多数派の神道や仏教は多神教です。
その文化的背景もあり、意識するかしないかは別にして、日本人の多くは多神教的な考え方をしています。
だから、クリスマスの一週間後に神社に初詣に行くといった行為に、ほぼ全く違和感を感じないのです。
「キリストさんも神様だし、天照大御神も神様だし、お釈迦様も神様だよね」
といった考え方は多くの日本人が持っているでしょう。

なので、一神教の考え方が肌感覚でイマイチ理解できないのでしょう。
私も含めてですが。

一神教では神様は一人です。
なので、絶対的な正義がそこにあります。
神様に許しを請うという感覚は、日本人には馴染みがないでしょう。
神社で懺悔している人にお目にかかったことがありません。

やっかいなのは、一神教の世界では、他の宗教を信じている人(異教徒)を
同化させるべき存在と見なしたり、敵と見なすということがあるということです。

「私達の信じている神様が絶対だ。他の神様を新している人は、可哀想な存在だ」
あるいは
「私達の信じている神様が絶対だ。他の神様を新している人は、敵だ」
と考える傾向があることです。

十字軍の遠征(11世紀末~13世紀末)は200年以上にわたって行われています。
200年以上、戦争を継続するエネルギーを理解するのは、なかなか難しいです。

現在でも、形を変えてその傾向は続いています。
中東における問題も、キリスト教VSイスラム教の戦いという図式で見ると、
見えてくる部分がたくさんあります。

ヨーロッパの移民の問題も、背景には宗教的な軋轢があります。
(イスラム教徒の移民が豚肉を販売する肉屋を襲撃する、等)

実はキリスト教もイスラム教も根源は一緒なのですが。
その話はまた別の機会にします。

もう一つ、現代の宗教の問題で触れておくべきは、
「共産主義は宗教を認めない」
ということです。
チベット問題やウイグル問題の根っこはここにあります。
この話も別の機会に。

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